
松原美代子という四十八歳の被曝女性がヒロシマの地獄を画いた五十枚の絵を持ってアメリカを歩いた記録を見た。
ケロイドの残る彼女の顔とたどたどしい英語の真剣な訴えは、心あるアメリカ人を大きくゆさぶったであろうと思う。
事実、高校生をはじめとする若者たちは松原さんと一人一人が握手して「アメリカ人はこんなにひどいことをした、かなしい」と素直に共感を示した。
ところが戦争体験者の質問の矢は鋭くて冷たかったのである。
「原爆投下はやむを得ぬ手段であった。あのことがなかったなら戦争は終わっていなかったであろう。原爆を使わずに日本本土にアメリカ軍が上陸していたとしたら、もっと多くの犠牲が出た筈だ。自殺者さえも多くだしたのではないか」
「現在の日本はアメリカの核の傘にたよりすぎている。防衛は自分の手でやったらどうなのだ」
松原さんの立ち往生。
「非核三原則があります」
と答えた彼女の必死な顔が忘れられない。
それにしても、この松原美代子という女性と五十枚の絵を送り出したのが日本の政府ではなく、ノーモアヒロシマの一団体でしかないところに問題がありそうだ。
戦争の原点にさかのぼり、敗戦という事実を噛みしめるときに、私はいつも激しい頭痛をひきおこす。複雑な心の逆流。
しかしながら、原爆体験は日本に限られている現在、反核を訴え、その愚を身をもって示すことは日本人の義務とさえ考えられる。私たちのあやまちを二度とくり返さないために、小さな力いっぱいにアメリカ大陸を歩きつづけた松原さんと五十枚の絵の地獄絵。
テレビジョンは最後にアメリカが誇る地下司令室を映しだした。百五十人の要人が三十日生きられるという「核に耐える地下室」。あらゆる設備が整えられて管理は行き届き、機械テストも一日二回は行われてるそうな。
日本でももしや……との疑問を抱くのは当然である。「戦争に苦しむのはいつも庶民なのだ」と叫んだアメリカの若者の声が強く耳に残った。騙されるのはもうごめんである。
松原さんは思い出すのさえいやな「語りたくない過去」を語って生きている。絵の一枚一枚もまた忘れたい体験を忘れないために画かれた。
ヒロシマ、ナガサキ。この二つの都市名がカタカナで書かれなくてもいい日の到来を世界中の人が望んでいる。そしてそれを実現させるのは人間でしかない。
告発を忘れはしない歯をもつ鳥
ー以上, 「言葉をください」時実新子、よりー
この本は1988年に書かれていて30年以上前のことです
現在、非核三原則はアメリカに右に習えでおざなりににしてる日本
そして憲法をも変えて戦争がしやすい国へと動いてる日本
これでほんまにええんかな〜
昨日明日 斬られ彷徨う 今日の子 淡青